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月刊土地家屋調査士 2003年9月号(No.560)
リレー随筆
阪神・淡路まちづくり支援機構にみる専門職能と社会貢献
連合会副会長 松岡 直武
http://www.chosashi.or.jp/docs/bin/kaihou2003/text09/200309_zuihitu.htm より

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 小雨模様の8月27日、筆者は宮城県土地家屋調査士会の南城正剛副会長、地元で調査士事務所を開業しておられる千葉眞二・同会理事の周到な事前準備と現地案内に感謝しながら宮城県の桃生郡鳴瀬町役場で同町の小林勇主幹の話に聞き入っていました。
 いつもの日調連の会務とは違ってこの日は『阪神・淡路まちづくり支援機構』の事務局委員として5月と7月に発生した宮城県北部地震と連続地震の現地被災状況と復興への取り組みの現状を知りたいと支援機構の元事務局長でもある兵庫県弁護士会の永井幸寿弁護士(同会前副会長)と一緒に被災地を訪れたのです。
 当日はこのあと同郡河南町、矢本町のそれぞれの役場と被災の現地を訪ね、民家ぎりぎりに迫る裏山の地滑り、10メートルほども移動した福祉施設のコンクリート構造物や小学校の校舎の亀裂を前に、もうすぐ9年になる阪神・淡路大震災の復興ぶりと支援活動の日々を重ね合わせていました。役場の担当者からのヒアリングや現地を視察する中で、死者が一人も出なかったことが奇跡ではないかとさえ思えるほどの惨状に、改めて災害の恐ろしさと復興のための取り組みの多様性、地域性の考慮が重要なことなど感じていました。
 本稿ではこの『阪神・淡路まちづくり支援機構(設立以来、広原盛明・京都府立大学元学長と北山六郎・日弁連元会長が代表委員をつとめる)の設立から今日までの足取りを紹介する中で、専門職能と社会貢献について考えたいと思います。

復興支援に専門家の連携組織
 平成7年(1995年)1月17日早暁、西日本の心臓部・阪神地区を突如襲った『阪神・淡路大震災』は死者6500余名、全半壊・全半焼家屋は21万棟を超えるという大惨事となりました。兵庫会の会員である女性調査士の1名が倒壊した事務所家屋の下敷きになって亡くなられたほか、多くの兵庫会・大阪会の会員の事務所・自宅が深刻な被害を受けたことは記憶に新しいところです。
 被災地にあって、多くの会員自身が被災者の一人であるにもかかわらず、地元兵庫会・大阪会では震災直後から被災市民のための相談所を開設し、被災に伴う地域住民や行政からの各種の相談に応じ、大量の滅失家屋の職権登記への協力、土地の移動に伴い、不明になった道路や宅地の境界の復元と調整等に日夜を忘れて取り組んでおられました。
 同様の資格者団体による復興支援活動は土地家屋調査士会だけでなく、弁護士会、司法書士会ではいち早く現地に臨時の巡回法律相談所を開設し、建築士会は被災建築物の応急危険度判定や補修や建替え相談、税理士会は被災・復興過程で生じるさまざまな税務問題についての相談所を開設して市民の復興の手助けをしてきました。
 そんな支援活動の現場で得た教訓は『大災害の復興のためには単一の職能のみで解決できるような単純な問題は少なく、特に土地・建物への対応が問題の大部分を占める地震災害では、むしろいろんな分野にまたがる複雑な問題を同時に解決しなければ何も進まない』という事実でした。
 そういった復興支援に携わる関係者のいらだちを背景に大阪弁護士会、神戸弁護士会(当時=現在は兵庫県弁護士会)が中心となって隣接専門職種団体が大同団結して復興に協力しようと呼びかけ、多くの困難を解決しながらできたのがこの『阪神・淡路まちづくり支援機構』です。両弁護士会の呼びかけを受けた土地家屋調査士会近畿ブロック協議会(井上寅雄会長=当時=大阪会長)では直ちに機関決定し機構設立の準備委員会に参画しました。(筆者も当初段階から今日までチームの一員として参加)

生みの苦しみと反省
 最初に口火を切った大阪弁護士会からは斉藤浩弁護士、神戸弁護士会からは森川憲二弁護士のエネルギッシュな2名の弁護士がその中心となって機構立ち上げに奔走されましたが、複数の分野にまたがる専門資格者による横断的な組織というばかりでなく、資格者団体の単位会またはブロック会を構成員とすることを企図していたため、各団体間の主張・意見調整や機関決定にかなりのエネルギーを費やすこととなりました。
 準備委員会の会合は赤レンガの神戸地方裁判所の隣接地にある神戸弁護士会の会館でかなりの頻度で開催されましたが、当時会館には被災住民5~600名が身を寄せ、会議室の殆どが使えず、夕食のおかずの煮炊きのにおいや赤ちゃんの泣き声が絶えない中での激論の日々でした。  
 長い準備期間を経て最終的には大阪弁護士会、神戸弁護士会、近畿税理士会、土地家屋調査士会近畿ブロック協議会、日本不動産鑑定協会近畿会、近畿司法書士会連合会、日本建築家協会近畿支部、近畿建築士協議会、建築士事務所協会近畿ブロック協議会の六業種9団体が参加することになった上、二つの学会(日本建築学会近畿支部、都市住宅学会関西支部)も協力団体として参加いただきました。
 発足に当たり神戸弁護士会は会館を本部事務所として提供されたばかりか、専属の事務局職員の設置費用も負担頂くという決定をしていただき、大阪弁護士会館と神戸ハートネットワークセンターに支部事務所を設け、参加各団体からの拠出金も得て震災から1年8ヵ月後の1996年9月にようやく発足式にこぎつけることができました。
 また、この機構設立の構想段階から議論に参加頂いた全国の学者の先生方と実務家で『阪神・淡路まちづくり支援機構付属研究会(代表は安本典夫・立命館大学教授=法学部門担当、高見沢邦郎・東京都立大学大学院教授=都市計画・建築学部門担当)』を併設し、被災地復興支援の現地から得たさまざまな問題点を整理し、政策提言を行うというユニークな取り組みをしました。(研究会から同時進行の研究成果と提言を取りまとめ1999年3月に『提言/大震災に学ぶ住宅とまちづくり』を刊行しています。)
 以来、支援機構は兵庫県や神戸市はじめ被災地の自治体や地域住民の要請を受けさまざまな復興支援活動を行ってきました。ほとんど毎週現地に出向いての相談活動のほか、県・市のコンサルタント、アドバイザー派遣制度もフルに活用して支援活動を行いました。
 大規模なエリアで地殻変動により広範囲に境界が移動、道路補修や住宅の再建を前に混乱状態になっていた西宮市の住宅地では、土地家屋調査士、弁護士、建築士、税理士のグループが住民同士の意見の調整から行政との折衝、権利調整、法務省の出した通達を基にした境界の調整と確定、登記まで全面的にサポートし、問題を解決したほか、狭小宅地の密集地では実情調査を基にした共同建替えの提案から税務問題の解決まで奔走して解決する等、数多くの実績を重ねています。
 しかし、機構の創設にかかわった者の間ではどうしても残念に思うことが心から離れませんでした。それは、日本で始めての資格者団体の横断的組織の組成という取り組みであったために団体間の調整、組織つくりに思わぬ時間を要することとなった結果、機構がようやく誕生したときは震災から1年8ヶ月も経っていたということです。
 紛争が頻発し、おそらく被災者が最も支援を必要としていたであろう被災直後にスタートできなかったこと、もし震災時にすでにこの機構があったなら、もっともっと多くの復興支援ができたであろうにという反省です。

平時からの組織づくりを呼びかけ
 支援機構に持ち込まれる新規の支援要請はほとんどなくなった震災から5年目を迎える頃、いっそ機構を解散してはという意見も出始めたのを受けて、機構の存続をめぐってさまざまな議論がなされるようになりました。
 結果、議論の大勢は機構のこれからの活動を『来るべき大災害に備えて、各地域で支援機構を創っておくことを訴え続け、その取り組みを支援すること』も先駆者として重要な役割であるということに集約されていきました。そして、そのための再出発事業として首都・東京で『まちづくり支援シンポ』を開催することを1999年秋の機構定時総会で決定。 
 直ちに構成団体から出向した事務局委員を中心に準備活動に入り、2000年2月に東京・九段のアルカデイア市ヶ谷(私学会館)で600名を超える参加者を得て『被災地まちづくり支援から学ぶ~専門家職能と市民の連携を全国へ~』をテーマにシンポジウムを開催しました。当日は各専門家がスクラムを組んで復興支援活動をしてきた中で学んだこと、これからの課題等が6つの分科会とシンポジウムで熱心に討論されましたが、土地家屋調査士会からも兵庫・大阪両会の会員が意見発表、生々しいスライド映写で境界問題の解決や被災マンションの復興のための支援活動の実情を紹介しました。
 この時を再出発点として現在まで、支援機構の事務局活動の中心を大災害が懸念される各地域に出向いて『平時から支援機構のような組織を創っておいて、いざ有事の時にはすぐさま被災者の復興支援活動に対応することができるような体制作りが必要であること』を呼びかけて、同様の組織づくりのための支援をすることに主軸を置いています。
 先年の北海道有珠山の火山災害、鳥取大震災、芸予震災の際にも現地を訪問、機構の仕組みと意義、活動状況を紹介しています。
 阪神・淡路大震災記念日の翌日である今年1月18日には東海地震の危険性が予測されている静岡県下の資格者団体、静岡県・静岡市等と阪神・淡路まちづくり支援機構の共催による大規模なシンポジウムを行い、機運を盛り上げましたが、その後の関係者・団体の尽力により、去る8月30日、静岡にも「東海地震対策士業連絡会」が設立されました。(もちろん静岡県土地家屋調査士会も重要メンバーの一員です)
 1999年9月21日と10月22日に台湾中部で発生した巨大地震、台湾大震災(集々大震災)はマグニチュード7.3の激烈なエネルギーが襲い、4540名を全半壊の家屋から救出したものの2400余名もの死者、18000棟余にのぼる家屋の全半壊を招く大惨事でした。
 筆者自身も本震から2ヵ月後の11月末、現地に入り、地殻変動による地表面移動の状況、マンションの倒壊などについて震源地周辺の現地調査を行いましたが、その折には復興のために奔走しておられる行政の方々、資格者団体の方々に阪神・淡路大震災で支援機構が数多くの専門職能の横断的な組織として地域住民の復興を支援してきたことをスライドで説明し、台湾でも専門家集団による復興支援のための組織を作ることが早期復興のために重要であることを提案しました。
 このようなことは支援機構関係者の間では国内・海外の被災地等に行く際にはいつも活動予定に組み込んでおり、運営委員の一人である建築家はトルコ大地震の現地にも行き『阪神・淡路まちづくり支援機構』による復興支援活動を紹介しています。

地域社会における専門家の役割
 冒頭に紹介しました宮城県連続地震の現地訪問団は、翌28日には津久井進・支援機構事務局長(兵庫県弁護士会)と土地家屋調査士でもある安崎義清事務局次長(兵庫県司法書士会)が加わって各資格者団体事務局や宮城県庁、仙台市役所を訪問しました。宮城県土地家屋調査士会では会務出張中の舟山政明会長に代わって応対頂いた亀山一宏・連合会副会長、南城・星・鈴木の三副会長はじめ役員と意見交換しましたが、同県では30年以内に宮城県沖地震が起こる確率は99%といわれていることもあって、各自治体、資格者団体では非常な危機感を持っており、この日の問題提起が災害発生に備えて専門職能家の連携による復興支援組織つくりへの第一歩となるものと期待しているところです。
 近年国家資格者をはじめとする専門家、わけても業務独占資格者のありようが社会的有用性の視点を含め再検証されており、一方では司法アクセス、司法ネット構想やADRの重要性が議論されていますが、平時の日常業務ばかりでなく、有事の際にどのように工夫して地域社会に役に立つことができるのかということ、その中で専門家の連携のありようを考えるのも重要な視点ではないかと思う毎日です。『阪神・淡路まちづくり支援機構』のこれまでの歩みと現在の活動はそれらにひとつのヒントを与えているかもしれません。

(2003年9月1日 防災の日に)
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2003.09.01(Mon)06:33 | 8 記事・ニュース・関連
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